高橋一生 舞台『2020』 感想・考察について
7月7日より行われ、先日千秋楽を迎えた高橋一生の一人舞台『2020』の感想・考察をお伝えします。
高橋一生さんの舞台を観るのは、昨年のNODA・MAP 第24回公演『フェイクスピア』以来2回目となります!
めくるめく激動の80分! 俳優・高橋一生の凄まじさを感じました!!
高橋一生 舞台『2020』感想・考察について 注意書き
今回の舞台は非常に難解な作品であり、私自身100%理解の及んでいない部分があると感じています。
その為、感想・考察については、断片的な記憶によるあくまで一個人のものであるという点をご了承ください。
目次
パルコプロデュース・2022 高橋一生 舞台『2020』感想
「沈黙は金」
この言葉から始まる舞台『2020』。
高橋一生演じる謎の人物が語る「件(くだん)のアレ」というもので、人類が消えた世界が舞台となっています。
この世界に残る人類は高橋一生演じる謎の人物「Genius lul-lul」と君たちだけです。
この「君たち」というワードを観客に対して発するある種参加型の舞台となっています。
「Genius lul-lul」は、人類の歴史において、紀元前から関わりを持ち続けてきました。
ある時は、クロマニヨン人、またある時は特攻隊のパイロット、赤ちゃん工場の工場長など…。
1人のある人類?が辿ってきた歴史を紐解いていきます。
まず感じたのは、運動量がとてつもない舞台だということです。
舞台上にはブロックが積み上げられていて、物語上様々な関わり方をしてきます。体当たりして崩したり、逆に積み上げてその上に乗ったり、とにかく動きが多かったです。
印象的だったのは、天井に届く勢いで積みあがったブロックの上に乗る場面です。「Genius lul-lul」がパイロット帽を取り出し、特攻隊の記憶を呼び起こします。
一瞬で役を切り替え、また戻る場面の高橋一生のスイッチの入れ方に圧倒されました!!
演出・ステージングを手掛けるダンサーの橋本ロマンスとのパフォーマンスも素晴らしかったです!
ニューヨークの街並みを映す映像などと合わさり、前衛的な世界観が作り上げられていました。
次の項目からは、舞台の考察を行っていきます。
パルコプロデュース・2022 高橋一生 舞台『2020』考察ポイント①「件(くだん)のアレ」「肉の海」
劇中で「Genius lul-lul」が語り手になりながら、各時代の記憶を観客は追体験します。様々な人物に移り変わるなか、物語中に絶えず出てくるキーワードがあります。
「件(くだん)のアレ」「肉の海」です。
2020年を境に人類は「件(くだん)のアレ」により、沈黙を貫き「肉の海」へと変わっていきました。
ここで「沈黙は金」という言葉が効いてきます。
「件(くだん)のアレ」について作中では詳細は明言されていませんが、私たちの現実にも大きく重なる部分があると感じます。
沈黙を正しいとして、選択した結果、人類は「肉の海」へと向かうこととなります。
「肉の海」というワードが出てくる度に非常に嫌な予感がしていましたが、終盤でその正体が明らかとなります。
「肉の海」とは、すなわち進化しすぎたAIによる管理社会が生み出したものです。
作中でもいくつか作品例が出されていました。SF作品のディストピアものによくある設定ですね!
既視感というワードも作中で出ていたので、このあたりも意図的なものなのかもしれません。
物語冒頭で「Genius lul-lul」は観客たちに対して、君・君たちと呼びかけました。初め一人称であったのは、我々がすでに集合体となっている為そのように呼んだと考えられます。
「個」としての自分を失い、1つの集合体となるというのは恐ろしさを感じます。
ここから考えられるのは果たして本当に沈黙は正しいのか?ということです。
「件(くだん)のアレ」なるものに対して我々ができることは、果たして沈黙を貫くことだけなのか?
「肉の海」というのは、単なるディストピア的世界観の話だけとは言えないでしょう。
「沈黙は金」として、関わりを持たず、「個」としての自分の意味合いすら曖昧になるのは「肉の海」であることと変わりはないと考えられます。
非常に強いメッセージ性のあるワードだと感じました。
パルコプロデュース・2022 高橋一生 舞台『2020』考察ポイントその②ブロックは何を表しているのか?
舞台『2020』は舞台上に無数のブロックが積み上げられ、作中でも強く関わってきます。
「Genius lul-lul」がクロマニヨン人の時から振り返るなか、ブロックは、時に崩され、積み上げられていきます。
人類の歴史が進み、このブロックを使って人々はタワーを作り上げると「Genius lul-lul」は語ります。ただ、ブロックが直接的に「鉄」のことを指しているわけではないのは明白です。
つまりこのブロックは何らかの隠喩(メタファー)であることが分かってきます。
舞台『2020』終盤で「肉の海」となった今も人類はブロックを積み上げ続けているという旨の言葉が出てきます。
ゴリラにはなく、人類だけが持つもの。積み上げ続けるといつか積めなくなってしまうもの。
ブロックは1つのことのみを表すわけではないのかもしれません。複数のことが重なりあったものとも考えられます。「知恵」「進化」「発展」etc…。
あるいは個人的に感じたのは「希望」でした。
「希望」は人の心を救いますが、積み上げ続けることで現実との差にもがくこともあります。
また、「希望」だと感じたのは「宇宙に関する描写」がきっかけです。
「Genius lul-lul」は最高製品により、人類が「肉の海」と化したことで孤独となります。
こののち、「Genius lul-lul」は宇宙を目指します。もっともっと遠くへ…。
宇宙とはすなわち人類が最初に描き到達した夢、「希望」の象徴だと考えます。
宇宙に旅立った「遠方担当」という存在がいることからもそのように感じました。
最終的には「Genius lul-lul」自身が遠方担当となり、宇宙に飛び出します。
もし、人類が「肉の海」となってしまっても、希望がなくなったわけではないというようにも思えます。
パルコプロデュース・2022 高橋一生 舞台『2022』感想・考察まとめ
舞台は、最後遠方担当としての役割を終えた「Genius lul-lul」の視点に戻ります。
物語冒頭と同じ語りで締めますが、そこには人類の分岐点となった「2020」の数字はありません。
正しさばかりが正しいわけではなく、人類には人類しか持ちえないブロックを持っています。
「2020」が境ではなく、その先も絶えずに希望を持って続いていくというメッセージではないかと感じます。
改めて、内容が複雑で理解が難しい舞台なので、見当違いな部分もあるかもしれません。ただ、明確な答えを示さないことに意味がある作品だと今回の観劇で感じました。
高橋一生の役者としてのスタミナと気迫を存分に体感できる舞台でした!!